2014年3月10日

「命をいただくということ」

  • 海外スタッフ
  • タイ駐在員の春日です。

     「いただきます!」

    当たり前のように毎日3度口にする言葉、その言葉の本当の意味をどれだけ理解していますか? 理解はしていても、どれだけ心にとめているでしょう。
    30日間ボランティアの期間中、必ず一度はまだ命のある生き物をしめます。 このことは、必ずタイ人スタッフと日本人スタッフで「やるべきか、やめるべきか」という論争に発展します。 私は30日ボランティアでは「やるべき」と思い、反対するスタッフをそのたびに説得しています。
    今そこで生きている命、その命が絶えていく瞬間を見つめます。 それは決して楽しいものではありません。 むしろ目を背けたくなるものです。

    反対するタイ人スタッフは「そんな残酷なところを見せる必要があるのか。罪深いことだ。」といいます。 これは殺生を嫌う仏教的な思想から来ているのだと思います。

    無題0今の日本では、こうした瞬間に出会うことはほとんどありません。すでにきれいにパックされたお肉ばかりです。だからこそ、「命」から遠ざかってしまっていると思います。
    アカ族の村を訪れてすぐ、村で豚がさばかれました。日本人大学生ボランティアの目の前で、豚が鳴き叫びながら命の火を細めていきます。

    こっちも泣きたくなります。

    ですが、こうして大切な他の命をいただきながら、私たちは毎日の食事をとっていることに気付くのです。

    心から「感謝すること」

    この時初めて、「いただきます」の重さに気付くのです。

     

    無題11無題33 丁寧に毛を焼き、焼けた後に包丁でこそぐ。そして調理するために、細かく切っていく。

     

     

     

     

    無題22                                                                                                               その一連の作業に参加し、そして最後には感謝していただきます。アカ族の村では当たり前の日常です。

    私たちは、「かわいそうだから」「怖いから」「汚いから」と、目を背けず、きちんと向き合い学んでいく必要があるのです。

     

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