5月16日、林野庁『東日本大震災に係る海岸防災林の再生に関する検討会』の初会合が
宮城県庁で行われた。審議会、検討会と言う言葉は知っていたが、傍聴するのは初めて。
満員の会場には林野庁沼田次長以外、会話した事がある人は誰一人いない。
配られた資料の『海岸防災林』という見慣れない言葉を初めて意識した。
世間はクロマツに津波を止める事も求めるのかという私の感じた発言が実際にあった。
被災地の踏査の写真は凄まじい規模での状況が実際である事を証明していた。
既に再生を誓う森林技術者魂を感じた。会合は熱を帯び、資料と発言に食い入った。
日本森林史上、最も海岸林面積が豊富である現代、山林を含め史上にない被災であろう。
やはりその再生には国民運動が求められるかもしれない。
オイスカはその一端を担わなければ何のためのオイスカかと心から思った。
会合が終わったら、この中で一人でも人脈を作りたいと感じた。
座長の太田猛彦東京大学名誉教授のもとに行こうと議論の途中で決めた。
正直に言って、オイスカを相手に会話して頂けるか自信はなかった。
しかし、杞憂だった。
先生は『僕は大学生の時、オイスカが創立されたのを覚えているんだ』と。
やっぱり私はオイスカにも守られているんだと感じた。
その勢いで林野庁長官と4月4日に面会。
海岸林再生のシンポジウム開催を7月11日に予定しており、
それへの参画と打ち合わせのアポを取る事ができた。
私のような駆け出しにちゃんと目を見て話しをして頂いたことは本当に嬉しかった。
後に飛砂飛塩調査をご指導頂くことになる川邊洋新潟大学農学部教授や
他の委員の方達とも面識を持つ事が出来た。
即帰京すれば良いものを、何となく気持ち冷め止まず、
勾当台公園で資料を繰り返し読みながら、何本も煙草を吸って気合いを入れた。
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