新しい場所で立ち上げる場合、信用と信頼を得るのに、経験上、3年は必要だと思っている。
別の現場で、幾度もあんまりな言葉を投げかけられたことがある。

宮城県庁はいつ何時も面会に応じ、断続的に意見と情報の交換を継続していただいた。
以前、某商社から当該部署の雰囲気は聞いていた。

地域の森林計画は県が多くの実務を行うことから、市町村との接触の前に、
じっくり県当局と話し合う必要があった。大枠合意できてから、名取市と接触するのが妥当と考えた。

まず、私たちの計画の出発点、つまり苗木生産のスキームをよく理解していただき、
必要な存在と認めてもらう必要があった。被災地農家の技術と熱意を活かし、
早急に苗木生産の担い手を確保し、育苗のスタートを切ることである。

内部で「なぜそんなに急ぐのか」と問い正されたことがあった。
行政・種苗組合・地元と何度も腹を割って話し、ともに歩むと
実際の一歩を踏み出すのには時間がかかる。
まずは何より宮城県庁。それがなければ地元は翻意する。
そして、1年に一度の播種の時期を、万端で迎えなければならない。

簡単な仕組みではあるのだが、NPOの存在が不可欠であるし、
応援いただく寄附者が必要で、平時ではこの仕組みは認められないだろう。
平時は、商品である苗木を納品しないと、働く人は対価を手に入れることは
できないが、野菜と違い苗木は2年以上かかるのだから。

我々の試算で、最も大きな被害面積の宮城県だけで必要な苗木は
600万本。それに対し、震災前にクロマツを生産していた農家は7件のみ。
4月の時点で、担い手が不足しているのは明らかと把握していた。
担い手がいないという事は、いかに山に木を植える場所がないか、
いかに木が使われていないかの証明でもある。
産業とは到底言えない規模だ。

林業種苗法に明記されているものの、新規参入者がいないため数年間開催されていない
「山林種苗生産事業者登録講習会」を開催していただくよう宮城県に働きかけ続けた。

そのためには、建前でなく、本音の意味として、種苗組合全体から
「仲間」として認識される必要があった。

2011年8月11日の協議で、いよいよ講習会開催の方針が明確になった。
それにより、「海岸林再生プロジェクト10ヵ年計画」をプレスリリースし、
募金態勢にも入ることができると考え、9月22日にリリースを行った。

宮城県庁での協議(20011年7月)

県庁を出た後、場所がなく、スナックを昼から借りてスタッフ会議を続けた

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