オイスカタイ駐在代表の春日智実さん、タイ全域のコーディネーターの
サバンスク・プラヤット氏が、オイスカ宮城県支部への活動報告会と、
海岸林実地研修のために、帰国後成田から宮城に直行、3泊4日の行程です。
智実さんは2度目、ヤット君は3度目の名取訪問。

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「いつかタイに行きたいなあ~」という人が宮城にまた増えました


二人は夫婦。
私にとって智実さんは社会人最初の部下、ヤット君には職員への道を勧め、職員研修として東京で2年、私の部署にいました。
二人とは長く一緒に仕事してきましたが、東北部スリン県での20年の植林協力と愛子さまご生誕を記念して上野動物園に2頭の子象が寄贈される際の調整や、南部タイのマングローブ植林(現在1,700ha)の現場では林広報室長を含め4人で一緒に活動をしたことも。戦友としての想い出が山ほどあり、タイでの二人の結婚式にも出席しました。
私と、智実さん、ヤット君は、ともにオイスカタイで鍛えられ、その経験が無ければ、私もこのプロジェクトを起案していないと思います。
6月18・19日に現場でボランティア活動をしてくださった住友化学・労組、ニコンは、
オイスカタイでもお世話になっています。
特に住友化学の参加者は、タイのマングローブ植林に参加し、宮城にも手を挙げた方が多く、夫妻とは予期せぬ再会になったのかもしれません。
UAゼンセンも、1996年からバングラデシュで今、「沈みゆく島」と呼ばれる地域で、
マングローブ約700haの再生に寄与。おそらく400人以上の組合員が泥に足を取られながら数日現場体験したことでしょう。
「失われた20年」の渦中を社会人として過ごしてきた30・40歳代が多い3グループでしたが、ボランティアに課せられた仕事の説明を集中して聞き、意味をすぐさま理解しました。
そうでなければクロマツ周りのつぼ刈りを、一人当たり3時間で1,600㎡もこなせないでしょう。
極めて目的意識が明確で、機動力のある集団でした。
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社会人は途中でベラベラせず、休憩時間にようやく旧交を温める


オイスカの海外現場で鍛えられ、今度は名取で活躍してくれる人たち。
強いシンパシーを感じました。こういう人の関わりはオイスカならでは。
よくぞ再度、宮城のオイスカの現場に来てくれた。
1993年にオイスカを知った時、「人づくり」という言葉だけ目に留まりました。
人づくりが村づくりとなり、それが国づくりになる。
オイスカに勤めてよかったと思います。

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