菊池慶子教授:「名取では1650年頃から海岸林植栽が本格化したと考えています。
          知行地が近くにあった2代目川村孫兵衛の手で。1800年~1803年に東日本の
          測量をした伊能忠敬も名取を通り、「北釜50戸」との記述と海岸林の記載を
          図面に残しています」

コンテナ土づめが終わった後、座談会のような感じで、おもむろに始まる。

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櫻井勝征さん:「夏は涼しくて、住みやすいイイ村だった」(開口一番)半農半漁。
          船もあったけど、地引網もやっていた。サツマイモ、特に麦を作ってたね」
森清さん  : 「まとまりのイイ村だった。運動会は下増田村の7集落対抗。
          松林の中で綱引きの練習をして」

森清さん  :「1週間で1年分の松葉掻きをやった。
          女の人だけでなく男の人ももちろん。
          どこの家も鉄砲風呂か五右衛門風呂だもんね」
武田昭夫さん:「私は本村地区(海から4km)に住んでいるが、
          お袋の実家が北釜だから、よく行った」

櫻井勝征さん:「昭和30年ごろは堆砂垣を作って砂丘を造成し、
          その上にマツだけ植えていた。
          1本1本に葦簀で風除けして」

武田昭夫さん:「大潮の時は、貞山堀が逆流し溢れた。増田川は
          イオンの近く(海から7km先)」
森清さん  :「内陸防風林(共有林)は7つの集落で所有した。皆が少しずつ土地を提供して
          設けたと聞いている」

吉田    :「学校植林の石碑が突然消えてしまったが、何か知らないですか?」
          *昭和28年全国学校緑化コンクール特選(全国1位)の記念碑。同27年は
          準特選。約8haの造林をしたらしいが詳しい事情がわからない。
          石碑の文面は写真に収めましたが。

森幸一さん :「100m流されて、おらいの田んぼの中にあったんだ。その後はわがんね」
菊池先生  :「工事の混乱で各地で石碑などの文化遺産が喪失している」
森清さん  :「今でいうサイクリング道の南の方に大正天皇即位記念の造林碑もあった。
          横に小さな石碑もあった」(これらも消息不明…)

これらの話は今までも聞いてきましたが、みんな自分の昔話は「大した価値がない」と、
そこそこで集中力が切れてしまい、打ち切ってしまう傾向があった。でも、今回改めて
豊富な情報があることが分かった。調査が深まるにつれ、質問も深まり、回答も深まる
事がよく分かりました。みんな時間を忘れて答えてくださいました。

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