4月からアドバイザーの立場で海岸林再生事業を中心にOISCAのお手伝いをさせていただくことになった
小林省太と申します。日本経済新聞の論説委員をしておりました。
今後、折に触れ、気づいたことなどを書いていきます。よろしくお願いします。
すでに宮城県名取市の海岸林植林の現場も何度か訪ねていますが、先日は菊池慶子・東北学院大学教授と
地元の方々から昔の生活や、生活と松林の関係などを聞きました。
すでにブログでも紹介されているとおりです。

その調査の前に読んで頭に入れておいたのが、
菊池教授が書いた「仙台藩の海岸林と村の暮らし–クロマツを植えて災害に備える」です。
70ページほどの小冊子ですが、仙台藩のクロマツ植林の歴史と、松林と生活のかかわりが
コンパクトに分かりやすくまとめられています。
この本を少し紹介しましょう。

ぜひ皆さんも読んでみてください

ぜひ皆さんも読んでみてください

菊池教授の専門は近世(江戸時代)で、宮城県公文書館などに眠っている史料から海岸林の植林に関するものを
丹念に探し出しているのが研究の特徴です。
宮城県の松林というと「伊達政宗の号令一下」のイメージがあったのですが、この本によれば、
植林が始まったのは政宗の時代を下ること約半世紀、17世紀半ばの1650年ごろからということです。
1700年ぐらいには立派な松林になっていたわけで、2011年にあらかた流されてしまった海岸林は、
長いもので350年ほどの歴史を持っていたことになります。

海岸にクロマツを植林する手間、技術的な難しさは今も同じでしょうが、
江戸時代にはもっと大変だったということは想像に難くありません。巨額の費用もかかりました。
藩はもちろんですが、有力な藩士や豪商、あるいは村民自らも費用を負担して松林をつくり、
守っていた様子が本に描かれています。そうまでしたのには、もちろん理由があります。

本には松林ができるまえの1611年(慶長16年)、「慶長奥州地震津波」で仙台藩の領内に1783人の死者が
出たことが記されていますが、こうした大災害を経てクロマツの植林が進められていったわけです。
海岸林には、津波はもちろんですが高潮や風、砂、霧などから、後背にある住まいや田畑を守る役割があります。
戦後まで、松葉や枝、梢は燃料として使われ、松林はきのことりの場でもありました。
「里山」の機能を果たしていたわけです。それだけではありません。
「魚つき林」という言葉があるそうですが、魚の生育のためよい環境を生み出す、そんな林を言うようです。
マツの枝葉が海で腐食してプランクトンを育む、林に生息する昆虫が海に落ちで餌になる、
樹影が魚に好ましい暗がりをつくる・・・松林のそんな効果が本には指摘されています。
さらに、飢饉のときにはクロマツの皮を剥いで砕き、米や大豆の粉にまぜて「松皮餅」という食料にしましたし、
外国船が日本周辺に現れた幕末には、海岸林の海防施設としての役割が注目されたとの記述もあります。

東日本大震災で失われた松林の再生は、海岸林が歩んできた長い歴史につらなる試みだということが、
本を読むとよく分かります。4月にはOISCAの現場でも3年目の植栽が始まります。
海岸林の維持には、ボランティアの方々の力も欠かせません。
ぜひ現場にも足を運んで頂きたいのですが、この本を読んでから来ていただければ、
草取り一つでも持つ意味が違ってくる、そんな本だと思います。
すでにブログでも紹介されていますが、本書は仙台市の蕃書房発行、800円(税別)です。
詳細・購入手続きはコチラ(蕃山房HP)

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