海岸林が暮らしを守る森林として育生され、保護されてきた歴史に関心をもち、調査・研究を進めています。
植林が開始された江戸時代の記録を読むうちに、実際の作業を体験しなければ歴史資料の理解は深まらない
という思いが募り、2013年4月からオイスカのボランティアに参加してきました。
苗場で床替えや除草、植栽場では下草刈りや排水のための畦切りを体験し、海岸という環境の厳しさを実感する一方、作業の一つひとつが、この地に恵み豊かな森をつくるために繰り返されてきた歴史的な営為であるという思いを深くします。
オイスカによる名取市の海岸林再生事業は、その仕組み自体が注目に値することは周知の通りです。
ひろく国内外からボランティアを募り、民間の資金援助をもとに失われた海岸林を取り戻そうという試みは、日本の海岸林の植林史に例のない画期的な取り組みであることは確かでしょう。
植林事業は達成後の維持・管理こそが重要な課題ですが、苗木を植え育てるという支援によって生まれた、名取の海岸林と県内外の人々との出合いが、海岸林を末長く守り続けるシステムに繋がることに大きな期待を抱きます。私自身もその縁のひろがりに連なりたいと思っています。
これまで主に仙台市で調査を進めてきましたが、名取市も対象に含めたいと考え、3月17日・18日の両日、
キックオフというべきヒアリング調査をオイスカ啓発普及部副部長の吉田俊通さん、このたびオイスカのアドバイザーとなられた小林省太さんとご一緒におこないました。
名取市の海岸林については江戸時代に作成された絵図などから、成り立ちや里浜の暮らしとの関係が知られます。さらに明治年間以降、震災前まで繰り返されてきた植林の目的や背景は、一様ではなく、北釜と閖上でも異なることがわかっています。
北釜には大正天皇の即位の礼と関わる大正5年建立の植樹記念碑
下増田小学校の学校植林日本一を記念する昭和27年建立の植樹記念碑
戦中戦後の台林地区の開墾と関わる昭和34年建立の愛林碑 があり、
記念碑の数だけでも特筆されますが、それぞれの石塔に刻まれた植林の経緯も興味深いものがあります。
ほかの時期も含めて、植林事業の記録は宮城県公文書館が所蔵する県庁文書のなかに膨大な帳簿が残っていることから、どの時期の植林史を掘り起こすことが重要であるのか、見当がつかずにいたのですが、再生の会の鈴木英二会長をはじめ、メンバーのみなさんのお話を伺い、さらに北釜に立てられた3つの石碑の現場(震災後、愛林碑を除き行方不明ですが)を見て回ることで、いちばんに取り組むべきは、愛林碑に刻まれた植林の歴史を詳細にたどることであろうと目標が定まりました。
県庁文書でその計画と経緯を詳しく確認できる上に、航空写真で進行の状況がわかり、さらに再生の会の桜井勝征さん、森清さんをはじめとして、ご自身や家族が植林に携わり記憶にとどめられた事業であることが決め手となりました。
北釜耕人会の桜井恵子さんから頂戴した『平成21年北釜写真アルバム』に、台林地区の開墾と植林の途上で撮影されたとみられる写真を発見しました。
北釜開墾耕地組合作業地写真(『平成21年北釜写真アルバム』)
北釜の関係者のほか、県の役人が大きく育った松林を背景に並んでいるこの写真も、多くの情報を読み取れる貴重な歴史資料です。アルバムに収められた、北釜の年中行事を写した写真の数々は、震災前まで受け継がれてきた集落の穏やかな暮らしの風景を伝えていて、魅入りました。松林に守られることで続いてきたであろう北釜の暮らしの伝統と、住民同士の繋がりにも関心を向け、調査を続けていきたいと考えています。

(東北学院大学 文学部教授 菊池慶子)

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