カバネヤマイ?

2016年9月9日( カテゴリー: 省太のつぶやき )

小林です。
5日、ちょうど一ヵ月ぶりに名取に行ってきました。
午前中は海岸林再生の会の人たちと苗畑の草取りをし、午後は海辺に植わっているクロマツの様子を見ました。
しばらく雨はなく、この日も好天でしたが、活動ブログにもあったように、水はけの悪い場所が気になりました。
来年春に植栽する予定地が池のようになっていて、水は一部この春植えたところにもたまっています。
そこでは、残念なことに多くの苗が枯れていました。水がたまったのは土質もあるのでしょうが、
周囲よりも低く水の逃げ場がないのも原因ということでした。
穴を縦に掘り、水を地中深く逃がす工事が進められるということです。
来春に間に合うといいのですが。
一方の草取り。
マツの苗は春にグンと伸びて夏は成長が止まるそうですが、その分なおさら草の勢いが目立ちます。
それで思い出したのが東北地方の方言です。
マツの苗や下草の話をしていてよく出てくるのが「おがる」と「がおる」。
これは以前教えてもらったのですが、それぞれ「成長する」「しおれる」といった意味です。
対になっているような面白い表現で、すっと頭に入ってきました。
だから、苗畑ではおがった草と格闘したわけです。そうしないとマツの苗ががおってしまうから・・・。

おがった草との格闘は続く・・・

おがった草との格闘は続く・・・

こうした方言は雑談のなかで出てくることが多く、この日もいろいろな“収穫”がありました。
釣りの話をしていて知ったのは、出世魚のスズキの幼魚をセッパということです。
私の知る限りではセイゴ、フッコ、スズキと大きくなっていくのが、
この地方ではセッパ、フッコ、スズキなんだそうです。
後で調べてみたら、セッパといっても地方によって指す魚の大きさが少し違うらしいということもわかりました。
もっと面白かったのが「かばねやまい」。
「かばね」といえば屍(しかばね)のこと。
「海ゆかば水漬(づ)くかばね、山ゆかば草生(む)すかばね」という歌を連想しますが、
「かばねやまい」と言われてもなんのことか分かりません。
じつは、怠けたり骨惜しみをすること。あるいは怠け者を指す言葉でした。
死んだふり、仮病みたいなイメージでしょうか。今はしかばねという言葉もほとんど使わず、
死体、遺体などと言いますけれど、しかばね、かばねには日本語古来の響きがあり
耳への当たりも柔らかいような気がします。
もう一つ驚いたのが「とぜん」。
「一人でトゼンだから、遊びに来い」というふうに使うんだそうです。これもちんぷんかんぷん。
「とぜん」は漢字で書くと徒然。「徒然草」のツレヅレで、退屈であることだと言われて、膝をうちました。
しゃれた言い回しで、なんか使ってみたくなります。
出てきた言葉を辞書で調べると、「とぜん」にだけは方言という注釈はなかったのですが、
少なくとも私自身は今まで使ったことがなく、聞いたり読んだりした記憶もない。
使い方には各地によって違いがあるようで、辞書には仙台市での用法として
「ひとりでとぜんだから遊びさおんなえ」という例文が載っていました。
なるほど、雑談で教えてもらったのとほとんど一緒です。
地元の人同士の日常会話にはこうした方言がちりばめられ、意味が分からないこともしょっちゅうです。
それでも、聞くたびに日本語の豊かさを思い知らされ、こちらも豊かな気持ちになります。
 

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