あの松林とともに育った方がまた加わった

2015年4月27日( カテゴリー: お助け隊員の声 )
植樹祭にも来てくださることになりました

植樹祭にも来てくださることになりました

名取市北釜地区のご出身で、今は栃木県にお住いの方が、4月19日のボランティアの日にご参加くださいました。
名取市民が多数参加する「植樹祭」にお誘いしたら幼馴染と再会できるのではと考えてメールしました。

その返信メールを紹介する、ご了解をいただきました。
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拝啓  オイスカ様

先日はお世話になりました。
植樹のお誘いありがとうございます。
植栽際も前の週のボランティアの日も参加させてください。

震災から4年過ぎ、これまで身内の支援は出来るだけしてきましたが、
幼少の自分を支えてきてくださった叔父、叔母、従兄を失い、
その人達に何も出来ないことが心苦しい時を過ごしました。

松林と貞山堀の元の姿に戻ってくれることが最大の私の希望です。

残念ながら、貞山堀の復旧は行政の手にあり入る余地はありませんでした。

クロマツの植栽も行政主体で復旧が進む中で、オイスカにより、
一般市民による復旧を行っていることを知って、ここしかないと確信し、
感謝しました。今後出来るだけ参加させてください。宜しくお願いします。

仙台平野の海岸沿いは「釜」の地名がありますが、400年前の
伊達政宗公の時代に同じような大地震と津波がありました。
政宗公はその状況を検分し製塩業を行うように指示され、人を集め、
津波の対策として、貞山掘と黒松の植樹をしたと亡き父より聞かされました。
その後、良質な水田で集落は潤ったと聞きました。第二次世界大戦時には、
敵兵の進行を防御するために、密集して植えられた黒松に加えて、
とげのある低木を植栽したと聞いています。確かに幼少のころ北釜の海岸に
出るまでに痛い思いをした記憶があります。

昔の姿が残っていることは、ごく普通と思っていても、開発や過疎など
時代の流れで変化していくものでありますが、突然失われ、激変するのは
心苦しい限りです。オイスカの皆様の行動に感謝以外に言葉がありません。
当然、幼少の時の風景を今後見ることは出来ませんが、過去から繋がる
人の営みを後世に少しでも繋げる一助になれれば良しととして、
微力ながら今後もご一緒に活動できれば幸いと存じます。

本当に微力ですが、可能な限り一緒に行動したいと思いますので
宜しくお願いいたします。
敬具
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最大の励ましをいただいた気がします。
宮城に向かう車中、涙が出そうになりました。
心から御礼を申し上げます。

今年の主戦場はこんな場所です

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