振り返りブログ 15 2011年7月11日 「東北にもう一度、白砂青松を取り戻したい」海岸林シンポジウム開催

今月は、二つの大きなシンポジウムが予定されており、その準備を進めているため、昨年のことを思い出しました。

震災からしばらく経った2011年6月・7月は、震災に関する実にさまざまなシンポジウムが開催されていた。
社会の動きとはこういうものなのかと今でも印象に残る。

私たちはあくまでも現場での実践に主眼があり、シンポジウム準備を通じて必要なネットワーク、
大きな「チーム海岸林」を生み出せると判断して開催した。
今でもそのネットワークが「核の中の核」であることは間違いない。

シンポジウムで、我々の考えるプロジェクトの一端、
すなわち「木を植えたくても苗木がない」「苗木の生産者も足りない」との事実に基づき、
被災地農家の技術を活かし、まず、生計支援を兼ねて苗木を生産するという基本骨子を発表した。

当日、フル参加いただいた皆川芳嗣林野庁長官(現農林水産事務次官)と、
「東日本大震災に係る海岸防災林の再生に関する検討会」座長の太田猛彦先生が
「オイスカは苗木の事によく気が付いた」との立ち話をオイスカスタッフが聞いたという。

林業に関わる人であれば、今の世で木を植えることが仕事としてのボリュームが極めて少ないことは体がわかっている。

また、これまでの航空調査、陸上踏査を元に非常に広範囲で極めて甚大な海岸林の被害を映像で伝えつつ、
海岸林が残った場所は、「周りと比べて若干高い」特徴があることも報告できた。
地下水位が非常に高い地域では、深根性のクロマツの根の特徴を活かすには「盛土が有効」と発表できた。

また、皆川長官が「海岸林再生に民間団体とも協働する」と対外的に初めて発表したのはこのシンポジウムだったと、後日聞いた。

オイスカにとって、プロジェクトの内容のプレスリリースは、この先の9月であったが、
何よりも、「オイスカはやるのだ」との決意を、国内外に発信した意味は大きかった。

中野利弘理事長が得意のアドリブで、「三本締め」して幕を閉め、応じてくれた聴衆の方の表情と全体の雰囲気は忘れられない。

国連事務総長からも3日前に、前触れなしにビデオレターが届き、翻訳以前の「開封」ができず、
同時通訳の方まで冷や汗をかかせた。私たちは基本的に国際協力NGOで海外への発信は義務に近い。
外国人向けにも聴講を呼びかけたため、資料の翻訳作業も加わった。
暑い中、休日返上で無言で手伝ってくれた職員、間際の翻訳にも嫌な顔一つなかった林野庁職員の顔を思い出す。

2011年4月4日に林野庁長官、次長に初めて面会した時に提案し、その場で決まったシンポジウム開催で、
本当に厳しい突貫工事だった。大きな会場を確保したものの、聞きに来てもらえるかの見通しはない。
しかし、後援団体など各方面には実質的な協力をいただいたおかげで、オイスカ職員を除き、353名に聴講いただくことができた。

その中には、大型バスで参加し、その晩はオイスカ本部の大広間で修学旅行のように大騒ぎして、
揚句「雑魚寝」していただいた名取市の被災地住民約40名が含まれ、その大半の方と今も育苗を共にしている。
私は寝る場所がなく、仕方なく屋上で寝た。

いろいろな布石を打つことができたシンポジウムだった。

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