「幸一さんは乗り越えたんだね」

2015年1月7日( カテゴリー: お助け隊員の声, 現場レポート )

年末、再生の会の女性陣とゆっくり話す機会がたくさんありました。
やっぱり男性陣がいない時が一番いい。
その中で、11月末に読売新聞夕刊全国版、科学欄下のコラム「考差点」に
「再生の会」の森幸一さんが取り上げられた話になりました。
「あの記事を読んで、涙が止まらなかった」とOさん。
そこでまた何人かの女性が涙。
森さんは、津波が来たとき、目の前で奥さんを亡くしました。
自宅から車で逃げようと、車に夫婦で乗り込んだ時、森さんは自宅のカギを忘れたことに気付き、
奥さんを残し家の中に入った途端、津波が押し寄せ自分は2階に逃げて
難を逃れたものの、以来自責の念から、仮設住宅でもふさぎ込んでいたと聞いています。
再生の会には幼馴染がたくさんいますが、Oさん夫妻をはじめ、皆で「一緒にクロマツをやろう」
といって、仮設住宅から連れ出し、佐々木統括からも「作業がなくても育苗場に来てください」
と言われて、間もなく3年になります。
2012年2月1日、雪が積もる中、荒野の中の育苗場立ち上げ作業にも森さんの姿はありました。
以来、来る日も来る日も、育苗場で仲間と共にクロマツのお世話。
仮設住宅の表札には、息子さんと奥さんの名前。
その脇に極端に小さな字で、自分の名前が書いてあります。

2列目右端が森さん

2列目右端が森さん


小さな字の訳は、「自分なんてどうでもいいんだ」と。
みんなの前では強がりも言っていましたが、
草取りしながらも、投げやりなことを言っていた時期が長く続きました。
ですが、昨年春の苗の出荷ではその責任者に。
大車輪の活躍でした。目に見えて表情が変わりました。
そのころの様子は支援者に郵送した
DVDにも収録されています。コメントには「自負」が感じられました。
読売新聞には「できるだけ長生きをし、天国の妻と一緒に見守ってゆきたい」と答えたとあります。
励まし続けた女性たちは涙しながら、「幸一さんは乗り越えたんだね~」と言いました。
1月は仕事が少ないですが、2月になれば森さんの活躍がまた始まります。

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