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バングラデシュ|チッタゴン・マングローブ植林プロジェクト

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国際協力の現場から: 蘇れ!シュンドルボン〜ひとりの夢がみんなの夢に〜

バングラデシュ開発団 マングローブ植林プロジェクト調整員 鈴木伸司(※本人肩書は1998年当時)

 バングラデシュ コックスバザール県 チョコリア郡。ここにはかつて「チョコリア・シュンドルボン(チョコリアの美しい森)」と呼ばれるマングローブの原生林が広がっていました。しかし、開発の名のもとに大規模な伐採が行なわれた結果、サイクロンが襲うたびに、人々は土地や家、そして家族までをも失ってしまうこと、マングローブが天然の防波堤となっていたことに気づいた一人の研修生OBの熱意から、オイスカ・マングローブ植林プロジェクトが一九九二年に始まり、今まさにシュンドルボンが蘇りつつあります。

 「オーイ!」一メートル間隔に印をつけたロープをもったスタッフが、掛け声とともに前進すると、マングローブの苗を小脇に抱えた地域住民も日本から来たボランティアも慌てて前を向き、泥に足を取られながら前に並んだ印にマングローブを植えていきます。

 続いて割り竹を担いだメンバーが植えた苗の脇に竹を差し込み、麻ひもで結わいつけます。実に手のかかる方法ですが、これは私たちオイスカ・バングラデシュ開発団が試行錯誤の10年間で生み出した最も効果的な方法です。

チョコリアを守りたい

 バングラデシュは、ガンジス川やジャムナ河などの河口にあり、豊かな自然に恵まれ、文化・芸術の盛んな地域でした。プロジェクトのあるコックスバザール県チョコリア郡にも「チョコリア・シュンドルボン(ベンガル語でチョコリアの美しい森)」と呼ばれるマングローブの原生林が広がり、数十年前まではジャングルの中で鹿や猿など野生動物が見られ、人々もその生態系の中で暮らしていました。

 1971年に独立を果たしたバングラデシュは、マングローブの原生林を大規模に伐採して輸出、また、伐採後にエビの養殖場を拓き、ブラックタイガーなどの輸出を外貨獲得の手段としました。開発に伴って人口は急増、燃料としての伐採もすすみ、90年頃には「チョコリア・シュンドルボン」とは名ばかりの一大養殖地帯に姿を変え、殆どの野生動物は絶滅しました。そんな人間の自然破壊という愚考を嘲笑うかのように九一年四月、超大型のサイクロン(台風)が遠浅のベンガル湾に高波を伴って地域を直撃。人々は一夜にして農作物や家畜、家屋を失い、数十万人の犠牲者が出たのです。

 チョコリアで農業を営んでいた帰国研修生のサイフル・イスラム・チョウドリー氏(故人、78年西日本研修センター修了)は、自身も田畑や家畜を失った失意の中で、以前よりもサイクロンによる被害が大きくなっている事に気づきました。「チョコリア・シュンドルボン」が天然の防波堤となって地域を守ってくれていたのです。

 「サイクロンに被災するたびに緊急援助を受ける事を続けていては、地域の発展はありえない。地域を守るためにチョコリア・シュンドルボンを蘇らせたい」チョウドリー氏の熱意に応え、翌九二年に「オイスカ・マングローブ植林プロジェクト」がスタートしました。

試行錯誤が続く

 プロジェクトを立ち上げたとはいえ、バングラデシュにおけるマングローブ植林についてはオイスカも経験がなく試行錯誤が続きました。住居の境界や防風、果実、財産のために各家屋の周囲に数本の植樹を行う伝統はありましたが、海岸や河口沿岸、川の中州など公共の土地に植林を行う習慣はありませんでした。従って植林作業には、地域の住民を動員しましたが、翌日には苗を抜き取られていたり、放し飼いの水牛が食べてしまうといった事が繰り返されました。

 地域を守るためのプロジェクトなのに地域住民が理解してくれない。そんなジレンマを持ちながらもプロジェクトの主旨に賛同して日本からボランティアとして訪問してくださる日本のオイスカ・サポーターの熱意と真摯な姿勢に励まされて、九六年に第1次5カ年計画を終了、五年間で300haに300万本のマングローブを植林しました。

 プロジェクトの転機となったのは、再びサイクロンの直撃を受けた九七年の事。第2次5カ年計画を開始した直後の4月、プロジェクト地域も甚大な被害を被りましたが、すでに植林したマングローブが5〜6メートル程に生長しており、地域住民はマングローブ林が再生された地域と植林されていない地域の被害の違いを目の当たりにしたのです。これを機に苗木配布や植林地の誘致など協力要請が多く寄せられるようになりました。

 「子供の森」計画のノウハウを生かし、植林地付近の小学校へも働きかけました。効果はすぐに表れました。植林の翌日から「この木は日本人ボランティアと僕たちが一緒に植えたんだ!」と水牛を追い払ってくれたり、マングローブの生長を大切に見守ってくれ、四年前に初めて地域の小学生が植えたマングローブは現在2〜3メートル程に育っています。現在は小学校二校、高校一校が参加。学校の参加によって他の大人たちも目を向け始め、今年からは地域の農業組合が参加しています。彼らにとって、純粋な心で植林に参加し汗を流してきた子どもたちが眩しく映ったのでしょう。ついには、地元選出の大臣が地域住民に参加を呼びかけてくれるまでになりました。

新しい挑戦

 プロジェクトのもう一方の主役は日本人ボランティアです。日本の住居に比べれば掘っ立て小屋のようなプロジェクト管理事務所に寝泊りして、毎食ベンガル・カレーを食べながら、全身泥と汗にまみれ、ひたすら植林作業に励みます。九六年からは、労働組合の連合体の一つ「UIゼンセン同盟」から支援を頂けるようになり、毎年十数名の組合員の代表が「ボランタス・チーム」として訪れます。

 2002年も8月19日から一週間、平岡宣次団長率いる「第7回ボランタス海外派遣オイスカ・チーム」13人が訪れました。普段は通勤電車に揺られ、事務所で仕事をしている方々が、ここでは日の出とともに起き、泥まみれになって慣れない植林作業に汗を流してくれます。

 地域住民のプロジェクト参加が促進された一つの要因は、共同で植林作業を行い、また日本人ボランティアの無私無欲な活動振りを目の当たりにした事にあるとも言えます。今年の「ボランタス・チーム」滞在中の四日間は、連日、地元新聞にその活躍ぶりが掲載され、それを読んだ地域の有識者がプロジェクト管理事務所を訪問するなど熱烈な歓迎を受けました。

 7年前に「第一回ボランタス・チーム」が植えたマングローブは、既に10メートル程に生長し、毎年花を咲かせ、実を結んでいます。今年は、そのマングローブ林に小船で分け入って種子を採集しました。それはまさにジャングル・クルーズで、マングローブ林の中に入ってみると枝にとまった鳥から糞が落ちてきたり、強暴なアリが噛みついてきたり、カニやヘビが幹をよじ登っていたり。マングローブ林の特徴は、木材として活用だけでなく、当プロジェクトの設立目的である護岸機能、そして生態系が生まれることにあります。

 結果として、魚やエビ・カニが増え、漁獲量も上がっています。絶滅が危惧されているインドカワイルカもこのサイトで生息しています。 私達がこの10年間のプロジェクトで植林し再生してきたマングローブ林は、面積で言えばたったの500haです。統計によれば世界では一年に約1500万haもの森林が失われています。けれど、この小さな試みの中で、地域の人々は植林の大切さに気付き積極的に参加してくれるようになり、生活も少しずつ改善されています。日本から訪問して下さった方たちは、帰国後、自らの生活を見つめ直すことから行動してくれています。そういった人々が力を合わせてきた結果、サイクロンの被害が軽減され、漁獲も豊富な「チョコリア・シュンドルボン」が蘇りつつあります。

 残念なことに地域のマングローブ林再生を訴え、当プロジェクトを開設したチョウドリー氏は、植林のため舟で移動中に事件に巻き込まれ、夢であった「チョコリア・シュンドルボン」の再生を見ることなく、志半ばで息を引きとりました。今、チョウドリー氏の夢は、彼の教え子たちがスタッフとして引き継ぎ、地域住民たちも「ボランタス・チ−ム」をはじめとする日本の植林ボランティアたちも共有する夢に発展し実現しつつあるのです。

月刊「OISCA」 1999年8月号より転載