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国ボラ経験者ブログ第6段も、春日タイ駐在代表の国際協力ボランティアの同期であり、現在は仙台で、くまっ子農園という有機農業の農園を経営されている渡辺重貴さんから、コメントいただきました。渡辺さんは、国ボラ時代に学んだオイスカの精神を受け継ぎ、独自で国内外の研修生を受け入れるなど、人材育成にも取り組まれているそうです。

また、今回の原稿は、今でも絆の強い! <国ボラ15期生>の文集用に書かれたもので、「国ボラ」への思いあふれる内容を、ぜひブログでもご紹介したいということで、公開のご承諾をいただきました。

渡辺さん、ありがとうございます。!

 

※前回までの掲載は、タグの「国際協力ボランティア」からご覧ください。


 

私、渡辺重貴は、1年間の国際協力ボランティア制度に参加後、別団体でアメリカでの2年間の研修という名の労働を終えて帰国してから、農業を職業にしたいという思いが強くなり5年ほどの紆余曲折を経て自営の野菜農家になりました。今年で14年目を迎えます。 なかなか儲かる仕事ではないですが、好きな事を仕事に出来ている幸せを日々実感しながら、泥、埃、汗まみれで働いています。 妻もパートで働きに出てなんとか家族四人は暮らせています。

農家の前に営業の仕事もやりましたが、自分で言うのもなんですが、全く使い物になりませんでした(笑) 。今思うと、私は農業以外に合う仕事は無かったように思います。 農業に出会わせてくれたオイスカには感謝してもしきれないくらいです。 今でも浜北の国際協力ボランティア時代は時々思い出すことがあります。あんなに濃い4ヶ月はなかったと思います。

同期のメンバーとの思い出は、ジグソーパズルのピースのように、どれが欠けても今の私はなかったと思います。 本当にみんなありがとう。コロナのせいで、なんかしんみりした文章になってしまいました(笑)。

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 あと、国際協力や国際交流の夢もまだ抱いています。 仙台に来ている留学生や海外研修生とは時々交流して、昔の経験を生かしたりもしています。 グローバル化時代ですから、国家間の誤解や争いが間違っても生まれないように、草の根レベルの国際交流は大切にしていきたいと思います。

幸福の価値観はみんなそれぞれ違いますが、不幸の価値観はみんなほぼ同じです。不条理な死や苦痛や貧困です。 なので 社会にたいする活動としては、幸福を増やす活動よりも不幸を減らす活動を出来る範囲でやっていきたいと思います。     

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イカさんに続き、昨年度の西日本研修センターのOG、ケイティさんからも活動レポートが届きました!

ケイティさんもイカさんと同じく、帰国後ボランティアとして、オイスカのセンターで活躍しています。

以下、ケイティさんのレポート


 

ケイティです。マレーシアのサバからまいりました。

2019年にオイスカ西日本センター でけんしゅうをしました(MUFG)。そして、2020年2月28日 、日本 から国へかえって、2しゅうかんぐらいうちでやすみました。

そのあとKPD-オイスカ研修センター でボランティア をしました。3ヶ月間ぐらいオイスカ・サバセンター にいた時、コロナウイルスがあったので”lock down” をしました。何もできなくて、とてもざんねんでした。けんしゅうせいたちもふるさとにかえりました。センターはしずかになりました。

3かげつぐらいけんしゅうせいたちがいいないとき、けんしゅうせいたちのしごとは、ぜんぶ、先生たちとボランティア がしました。そのときはいろいろをしごとをしました。はたけ、たんぼ、にわとりのさばきやだいどころのしごともしました。とてもたいへんですが、皆でよくがんばりました。

とりをさばきました

とりをさばきました

きのこもかんりしました

きのこもかんりしました

スタッフと稲刈りしました。

スタッフと稲刈りしました。

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はたけ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

7月1日には、研修生がふるさとからもどりました。センターは、にぎやかになりました。研修生がもどり、私とイカさんが日本でけいけんしたことをはっぴょうしました。日本のことや、しゃしんをみせて話しましたから、研修生は日本での研修のことを少しわかったと思います。私は9月にボランティアを終わります。ボランティアが終わったあとのよていは、家族としろいとうがらしをさいばいしたいです。しろいとうがらしは、サバしゅうでよくたべるとうがらしです。

昨年度の四国研修センターのOG、イカさんから帰国後の活動レポートが届きました!

イカさんの母国マレーシアでもコロナ禍に見舞われる中、ボランティアとして、オイスカの研修センターで活躍してくれました。

以下、イカさんのレポートです。


 

私はベリリカです。

2019年、オイスカ四国研修センターで地域開発コースの研修をしました。昨年12月に帰国してから2週間ぐらいふるさとで休みました。

その後はKPD-オイスカ研修センターで、ボランティアをしました。1月から3月の間は、研修生といろいろな事をいっしょにしました。私は日本で農業、調理、食品加工など勉強したので、こちらも日本と同じように農業、調理、養鶏など研修生と作業しました。

研修生ととりをさばいています。

研修生ととりをさばいています。

スタッフと稲刈りを手でやりました。 (雨で畑が泥になって機械が入らない)

スタッフと稲刈りを手でやりました。
(雨で畑が泥になって機械が入らないため)

3月18日からは、コロナウイルスの影響で半分の研修生がふるさとに戻り、残りの研修生とスタッフで、センターの作業が回るようにいっしょに作業をしました。ちょっと大変ですが、なんでもいっしょにやるから楽しかったです。

研修生がいない間にキノコのかんりをしました。

研修生がいない間にキノコのかんりをしました。

コロナウイルスが少しよくなりましたから、7月1日から研修生もセンターに戻りました。久しぶりですから、皆、会えてとてもうれしいみたいです。研修生がもどりましたが、私の6か月間のボランティアきかんも終わります。帰る前に、日本で勉強したことを研修生の前にはっぴょうをする事ができて、よかったです。

7月7日、私はふるさとへ帰りました。研修生の時、私はキノコさいばいを学ぶ研修生でしたから、ふるさとで家族といっしょにキノコさいばいをはじめたいです。キノコさいばいがよくできたら皆さんにまたレポートをかきたいです。

本部・海外事業部の藤井です。

コロナ禍が続く毎日ですが、海外の現場では新型コロナウィルス対策の取り組みが各国で続けられています。
その様子は、こちら↓のページからご覧ください。皆さまのご支援、ご協力宜しくお願いいたします。

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今日は、先日のブログ「それぞれの連帯のかたち」の~その2~として、オイスカの新型コロナウイルス対策緊急支援募金にご協力頂いた方から届いたお言葉の一部をご紹介します。

まずは、オイスカ賛助会員の豊田汽缶株式会社から頂いたお言葉です。

「弊社にも、フィリピンからの研修生が3人おり身近に感じております。今回、新型コロナウイルス対策に社員に会社からのマスクを支給することに合わせ募金を募りました。少しですが、お役立ていただけると嬉しいです」

豊田汽缶株式会社では、2015年よりフィリピンの技能実習生を受け入れて頂いています。また、2009年からは、フィリピンのオイスカバゴ研修センターで行う養蚕事業で使用するボイラーの修理・保全などをボランティアでご支援頂いています。
以前のブログで、勝田好和会長にお話を伺った内容を紹介していますので、ご覧ください。

現在お世話になっている技能実習生3名(フィリピン)。豊田汽缶㈱と施された作業着をまとい、安全第一!で日々懸命に実習に取り組んでいます

現在お世話になっている技能実習生3名(フィリピン)。豊田汽缶㈱と施された作業着をまとい、安全第一!で日々懸命に実習に取り組んでいます


フィリピン・ネグロスの養蚕技術を支えるボイラー技術①
フィリピン・ネグロスの養蚕技術を支えるボイラー技術②

次は、同じくオイスカ賛助会員のシマツ株式会社から頂いたお言葉です。

「会社は、全国に事業所がある為、多忙でなかなかオイスカの現場まで足を運ぶ時間がありません。その分、出来ることで支援をしたいとの思いが強く、今回募金をすることにしました」

シマツ株式会社は、1974年から法人会員としてご協力頂いており、中部日本研修センターで毎年開催する国際青年養成講座(今年はコロナ禍で中止)にも、毎年新入社員を派遣して頂いています。
中部日本研修センターの小杉所長によると、「シマツ株式会社の嶋津社長は、オイスカ理解が深く、これまでも募金に限らず、軍手や、消毒液、塩飴などの品物の寄贈を何度も受けています。特にオイスカの人づくりに役に立ちたいという思いがあり、研修生の帰国後の活躍など報告をすると、とりわけ喜んでくださる、そんな素晴らしい社長さんです」とのことでした。


お言葉を頂いた方々以外にも、これまで、元オイスカ職員の方や海岸林再生プロジェクトのボランティアの常連さんなど、さまざまな方々に募金にご協力を頂いています。

国内での自然災害も心配される中ではありますが、引き続き、新型コロナウイルス対策緊急支援募金へのご協力宜しくお願いいたします。

こっそり連載化していた「国ボラ経験者ブログ」も第5段。

※前回までの掲載は、タグの「国際協力ボランティア」からご覧ください。

今回は、春日タイ駐在代表の国ボラ時代の同期であり、現在、福井県で新聞記者としてご活躍中の堀英彦さん<国ボラ15期生>がご執筆くださいました!

堀さん、ありがとうございます!

(広報室 倉本)

以下、堀さんのレポート


 

バブル経済がはじけ、就職氷河期。オウム真理教による地下鉄サリン事件では大勢の犠牲者が出た。社会は大きな不安を抱えていた。正しいとされてきたことが、本当に正しいのかと疑いを持ち始めた時代でもあった。1995年、私は大学を卒業し、国ボラ15期生として当時は静岡の浜北にあったオイスカ専門学校(研修センター兼任)で生活を始めた。「就職するまでの自分探し」という若者ならではの甘い感覚だった。

多くの国の人たちと一つ屋根の下で生活するのは初めてだった。フィリピン人女性のジェナリンさん(通称ジェニさん)との交流が記憶に残る。彼女はいつも厨房にいた。炊事が好きだった私は、ジェニさんとすぐに仲良くなり、近くの畑で一緒にスイカを育てた。毎朝夕一緒に水やりをした。ジェニさんは、当時22歳の私よりだいぶ年上だったが、いろいろな話をした。家族のこと、恋愛のこと、国のこと、戦争のこと…。時々ジェニさんは畑で泣いた。外国人を「同じ人間だ」と心の底から理解できたのは、これが初めてだった。

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研修所では定期的に面接があり、今後の進路について聞かれた。私はいつも「正面から国際協力に関わりたいのではなく、将来教師になって、この経験を生かしたい。オイスカに残るつもりはない。だから派遣先は外国でなくても構わない」と答えた。15期生は18人。このうち海外に行けるのは半数程度。オイスカに残らない自分が、海外に赴任するのは、他の人に申し訳ないと思った。「フィリピンのミンダナオ島」と言われたときは、正直驚いた。ジェニさんは「私の国をたくさん見てきてね」と言った。

赴任初日から、ピニアンという山奥に放り込まれた。そこにいる日本人は私1人だった。これがミンダナオ島の池田先生のやり方だった。今思うと実にありがたかった。なりふり構わずコミュニケーションを取るしかない状況に追い込まれ、必死だった。現地での活動は、植林とCFPの2本柱だった。パイナップルやトウモロコシの繊維を使って紙作りにも挑戦した。近くには青年海外協力隊の人もいた。欧米のNGOのボランティアもいた。ただ、住民と深くかかわって活動しているのはオイスカだった。住民の苦しみ、抱える矛盾、本当の暮らしを見聞きできるのはオイスカだけだった。翌年4月に帰国したが、直前に池田先生から「ここにいるか?」と問われた。数日考え断った。受け入れたら、二度と帰国できないかもしれないと思った。「ここで死ぬ覚悟」を持てなかった。

結局、人に教えるということに疑問を感じ教師をあきらめ、新聞記者になった。記者歴20年を超えた。福井には技能実習生としてインドネシア人を受け入れ、農業を指導している法人がある。新聞は客観報道が原則といわれるが、どうしても記事で応援したいと肩入れしてしまう。

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長く記者をやっていると、社会の闇や不条理にぶつかることも多い。つくづく嫌になることもあるが、40代後半にして、1人の人間として社会に貢献したいという欲求が募る。オイスカでの経験が自分の一部になっていると、年を経るごとに感じる。同期の生き方を見聞きすると、自分と同じような感覚の人もいるのではないかと思えてくる。そして今もオイスカで働いている同期の姿を見ていると、なんとも誇らしい。

グローバル化が進み「支援する」「支援される」という単純な社会でなくなっていると感じる。でも、私がジェニさんから学んだ「同じ人間である」という理解は、社会がどれだけ変容しようと普遍であり、出発点だと思う。オイスカには本当に感謝している。