ラバウルで使われている貝のお金(タブ‐Tabu)その3

2020年5月18日 ( カテゴリー: 海外スタッフのブログ )

パプアニューギニア駐在代表の荏原さんの、貝のお金(タブ)に関するブログその3です。

その1/その2


 

現地ラバウルでは現金が無くてものが買えないことよりも、タブが家に無くて結納金が払えないことや、お葬式の数日後、そのお葬式の締めとしてタブを皆に配る式がありますが、その時自分には皆に上げるタブが無い、というのは大きな恥になるのです。

それで小学校の高学年になったらタブを集めたり買ったりして、家族のメンバー各自が、それぞれタブを何としても持つ事が各家族の目標になります。タブを持っていないというのは、“あなたは怠け者”と同義語なのです。

 

2019年12月1日、日本で亡くなった私の父の葬儀の締めの式を12月13日、ラバウルの自宅の庭で行いました。私は余り一所懸命タブを集めていなかったのですが、幸い300m程度家にあったので、恥をかかなくて済みました(笑)。

オイスカラバウル研修センターの所長はじめスタッフと友人たち、地域の人達、ローラ(嫁さんで学校の教師)の同僚、そしてローラの家族の方たちが皆それぞれ自分たちのタブを持って来てくれたので、参加して下さった人達(250名位)皆に無事配る事ができました。とても有難かったです。

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手に持っているのがタブ

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皆に配っていきます

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてプログラムには無かったので驚かされた出来事がありました。葬儀の式の終わりに私がトライ族のピィカラバ(Pikalaba)副部族という族員に加えられた事の宣言が突然にあり、そのお祝いとしてこのタブを皆から頂きました(合計50m位)。日本人でありながらトライ族の部族員に加えられた、というのは不思議な感じです。

 

村で開催される冠婚葬祭は村の行事のようになっています。働き盛りの人が亡くなった時の葬式よりも、ご年配の方になればなるほどお葬式に参加される人が多いのも、日本の都会の葬式と違うなあ、と現地の村の豊さを考えさせられました。

ひとりの人の人生の最後、その方がどんなに大きな仕事をしたかではなく、日々畑を耕し、村の中で家族を養い、普通に生きた方の人生がそのまま評価され、村人の心に残る。そしてひとりの人の死を通して貝のお金を使った部族の伝統と習慣が引き継がれていく。

日本の益々の核家族化と都会化は、どうなのでしょうか。

dav

お祝い事もお悔やみ事も村の皆が集まります