ふるさとの白浜に、クロマツの並ぶ美しい風景をとりもどす。それを復興の目標と、シンボルにしたい。

「子や孫の世代のためにも、
おらたづ (俺たち)がやらなきゃだめなんだ!! 」

大友 英雄氏
名取市の専業農家として主に小松菜を栽培している。
現在、自治会長を務めていてとても頼りになる。
いつでも前向きで、みんなを励ます。

 
— どうして海岸にクロマツを植えようと思ったのですか?プロジェクトを始めるときのお気持ちは?
同級生の高梨仁氏の誘いでプロジェクトについて知ったのがきっかけ。その他の町内会にも声をかけたが自分たちの生活、畑が優先で他の人たちを誘うのは難しかった。自分自身、畑からの収入が2、3年無くても、海岸にマツを植えて、潮風を避けて農業を守るようにすることが子や孫の代のためにも、より良い農業のためにも必要だと感じ、「自分たちがまずやらなければいけない」と思い、プロジェクトに参加している。海からの潮風や砂を防ぐ役割が海岸林にはある。特に自分が育てている小松菜には影響があるため、無くてはならない存在だ。
今まで、研究費用が出にくいという理由で塩害に関する調査が大学研究機関によってなされてこなかった。今回の津波の影響による農地への塩害被害についてプロジェクトを通して、調査が行われることも期待している。
— 震災時の状況とその時のお気持ちは?
津波は渦巻きだった。すべてを巻き込む。津波は来ないと思い、家にいた。チリの大地震の時(2010年2月)も津波が来ると言われたが、それほどでもなかったので自分も含めて今回も津波は来ないと思っていた人が多かった。津波が来た歴史もあまりないため「なにこれ?」というのが最初の感想。車は静かにスーっと押し流されていく感じだった。車が水の上を走る感覚で例えて言うならば、電気自動車のようだった。津波は速く、静かなものだった。同じ名取市でも津波を見た人、見ない人で津波に対する印象が違う。
— 子どもの頃、マツとどう接してきたか?マツの歴史は?
小学校4年ぐらいから中学1年まで冬はダルマストーブの燃料のために松葉拾いに行っていた。松葉は石炭を燃やすために焚き付けとして必要だった。
— どのような農作物を作っているのか?震災の影響は?
小松菜、トマト、かぼちゃを育てている。津波後は収入が落ちた。震災後は収入0になったが現在の農業収入は四分の一まで回復している状況。年齢のせいで作業ができなくなっているのがつらい。
— プロジェクトとご自身の農業との両立について
プロジェクトと自分の農業でかなり忙しい状態である。クロマツを育てることは野菜に比べて難しいとは考えていない。自然のものであるが故に自分自身も自然体で育苗作業に当たっている。
再生の会は気心知れた仲間たちなのでおしゃべりしながら、作業すると、疲れを忘れるほど楽しく作業できる。
— 外部ボランティアに期待することは?
人手がいると助かる。頭数、手数が必要。特にクロマツの移植は機械より手作業の方が良い苗を育てることができるし、苗の活着も良いので、そのような時に協力してほしい。
— 海岸林再生プロジェクトを成功させるためのカギは?
若い世代に託すためにも教育委員会を通して、中学校、高校の生徒に手伝ってもらいたい。特に地元の農業高校の生徒には期待をしている。
— 復興が進む中でどのようなまちづくりになってほしいですか?
仙台空港を活かして一大テーマパークにしたい。ホテルやカジノ(まだ、法律で許されていない)とかいろんな資本を入れて税収を増やしたい。中国や韓国の富裕層の来訪による経済効果への期待もある。今まで、そういう話があったが反対され却下されていた。
この名取市、そして海岸林付近を商業地とすることで、若い人の就職口が増えていって欲しいし、地元の企業を活かす街になって欲しいと願う。若い人に対して農業への期待はない。それ以外の業種を望む。
インタビュー日:2013年5月30日
聞き手:公益財団法人オイスカ 国際協力ボランティア 木村肇
 

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