インタビュー

やっと植樹する喜びが分かってきた

武田 昭夫氏
自治会など地域の取りまとめ役を長年務める。子どものころ、両親の手伝いで畳のためのイグサ干しに海まで行ったことなど、昔の海岸林の想い出を語ってくれる。

 

— 町内会長として復興に率先

私の家は海から約4㎞内陸にあります。
わが家周辺は津波による冠水が45㎝になりました。
うちの畑には幸い海水は入りませんでしたが、
町内(本村)の被害は、64戸中、床上浸水1軒、大規模半壊5戸。
あまり顧みられることがないのですが、屋敷林の津波被害というのも見過ごせませんで、
津波の入った屋敷林は震災後1年で枯れてしまったんです。
屋敷林は64戸ありましたが、うち35戸の屋敷林が枯れてしまい、
名取市に掛け合って伐採をお願いしました。
復興を受け身で待っていても意味がないというので、
まず自分たちの生産組合を中心に復興組合を立ち上げました。
地元でできること、できないことを仕分けして、みんなで瓦礫を片付けたり、
農業用水の修復などに精を出す一方、重機を使用するような事は市の方にお願いをしました。
お陰で震災の翌年の5月に田植えができました。
うちの地区の動きは総じて早かったと思います。

— 震災の翌年、海岸林再生の話を聞く

町内会長仲間である鈴木英二さんや、大友英雄さんたちから、
海岸林の再生の会のことは以前から耳にしてはいましたが、
私にも参加してほしいという依頼がきたのは、震災の翌年です。
ぼくらの地区の農地が1年で復興したので、今度は海岸方面を手掛けなきゃと
思っていたところだったので、一も二もなく協力しました。
昨年(2013年)の夏ごろ会員登録をして、秋から活動に参加しました。

— 海岸林には格別の思い出が

小学校のころ、広浦の南側、貞山濠の西側に、
ぼくらの「学校林」(仙台空港北側・海より2km)があったんです。
マツだけの林でね、それを一生懸命手入れしたものです。
それが全国一の学校林として、優秀賞をもらったことがありました。
(全国学校緑化コンクールで昭和27年準特選、翌28年特選)
小学校も4年生になると、5、6年生と一緒に、冬は松ぼっくりを拾いに
海岸まで1時間の道のりを歩いて行くようになります。
南京袋と呼ばれた麻袋いっぱいに松傘を詰めて、
さすがにそれは牛車で学校まで運ぶのですがね。
夏は、い草干しの思い出ですね。
昭和30年代から50年代まで、この下増田は東北地方有数のい草の産地でした。
わが家は非農家で、父は農協勤務でしたが、田畑も3反歩ぐらいあってい草も作っていました。
い草刈りは夏が本番です。
子どもの背丈ほどになったい草を刈ったあと、白い泥水状の石灰顔料に浸すんです。
それを早朝に、北釜海岸まで持っていって砂浜に広げるんです。
い草が乾く間、松林の中でご飯を食べたり寝転んだり、
子どもは海で泳いだり、楽しい時間を過ごしたものでした。
母方の祖父母の家は、現在の仙台空港の東のほうにありましたが、
そこでもい草干しはもちろん、祖母などは砂浜にハマボウフウを植えていました。
ハマボウフウは毎年、新芽を摘んでそれを酢味噌和えにしたり、
大量のハマボウフウを味噌漬けにして食べたものです。
松林は私たちにとってごく身近な存在で、あちこちに植林の碑があります。
下増田公民館には、初代の阿刀田義潮村長の植林の碑があります。
名取は、伊達政宗の時代だけではなく、明治の後半から昭和にかけても
地元民を巻き込んで植林をしてきた町だということをよく聞かされていました。

— やっと植樹する喜びが分かってきた

再生の会の作業としては、忙しいときで、
1ヵ月に2週間弱活動をするような塩梅でしょうかね。
会員になってすぐに育苗作業を手伝い、
今年は2年前に直播きした分を抜いて、床替えをする作業などをしました。
3月後半からはポット苗にするために、ポットに土を入れていって、
4月後半からはそれらのポットに種まきをしました。
第二育苗場の土の固さにはちょっと苦労をしましたが、今年の植樹祭も無事に迎えられたし、
やっとマツを育てることの喜びが分かってきました。
土いじりはもともと好きで、家の庭の植木の手入れも自分でしますし、
野菜も育てていますが、松林をタネから育てるというような、
ご先祖がやってこられたことをまさか自分でやるとは思わなかったですよ。
まだまだ元気ですから、75歳ぐらいまではやるかな(笑)。

— 震災への関心、風化が心配

復興の進展具合には、同じ名取市内でも差があります。
閖上地区は被害も大きく、人口も多い。
さらには先祖代々からの住民と新興地にあとから移り住んだ住民とが混在し
元々住んでいた住民が少数派、しかもこの辺とは違って漁業関係者が多い、
というようなさまざまな要素が、復興計画のまとまりを阻んでいます。
比較的復興が進んでくると、今度は震災に対して関心が薄れてくるのも、
ある意味自然なことではありますが、町内会長として、
何とかこの名取にとっての海岸林の重要性を理解していってほしいと思っています。
地道に新しい人たちにも声をかける以外に妙案はないですね。
この間も、オイスカの吉田さんにチラシをもらって周辺全戸に配布しました。
ボランティアに参加してくださる人も何人かあって、
皆さん、あの300m幅に植えられたクロマツの列を見ると感心されます。
県内外からも多くの関心が集まるといいですね。私もがんばります。

インタビュー日:平成26年7月25日
聞き手:徳田祐子(公益財団法人オイスカ ボランティア)

 

インタビュー集にもどる